epilogue

目を閉じると聴こえる音があって、

耳を塞げば見える絵があります。

けれど、

目を閉じないと見えて来ない絵があることも、

耳を塞がないと聴こえて来ない音があることも、

僕らは、知っています。

 

目を閉じても、耳を塞いでも、

流れを止めない川が目の前にあります。

小石を投げ込めば、今がぽちゃん、と広がるでしょう。

木の葉を浮かべれば、物語がすっ、と始まるでしょう。

僕らはどこかのほとりに生きていて、

川の流れの向きだけは、

誰もがちゃんと知っていて、

そのことを避けたがったり、諦めたり、楽しみに待ったり、

そうしてなにかしらを感じ生きながら、

終わりが来るのも知っている。

 

どんな絵も、どんな音も、

連れてけないのを知っている。

さて、どうしょうか?と

そこで僕らは考える。

そして僕らは気づくだろう。

川は流れてなんかいなくって

僕らが進んでいたことに。

 

楽しくって、あっと言う間に過ぎた日や、

辛くって、なかなか振れない時計の針や、

走ってたんだ、後向いてたんだ、と

やがて僕らは気づくだろう。

 

僕らは、進んでる。

例えば、絵を描いて、音を鳴らして、

進んでる。

 

追い越したり、追い抜かれたり、

そんなこともあるけれど

だから、こうして出会ったり、

声掛け合ったりしてるんだろう。

 

それを素敵と思います。

あなたはどうですか?

遠くからでも見えるよう、

僕ら種を蒔いて進みませんか?

 

川のほとりに大きな大きな木陰があったら、

僕らゆっくり会えるでしょう。

川のほとりに花が咲いたら、

少し気分がいいでしょう。

 

「いつか詩人になるために」

例えば僕は、そう思うんです。

 

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106片の詩に加えて、こんな話まで読んでいただきありがとうございました。

「どこで会いましょう?」

こんな合言葉で、繋がっていられればいいな、って

やっぱり思う今日に。

 

mas-tuyo@muc.biglobe.ne.jp

翼木 空人

 

 

Thanks.